天上天下唯我独尊

強いなぁ!って言われたい

父親像

過去ログでも述べたが、私は幼い頃に父親を亡くしている。
従って、私には父親像というものが無い。でも今私は父親である。
私は、子供達にとって、どのような父親であるべきなのか、ふと
考える時がある。今のままで果たして良いのだろうか?と。

父親はこうあるべきという固定観念を持つつもりはもうとう無い。
人それぞれの考え方があるので。

私は、子供と接する時出来るだけ子供と同じ目線で物事を見たり、
聞いたり、考えたりしようとしている。子供達が何かの判断に迫られた
ときも、極力子供達の判断で決めるようにしている。
子供達には、色んな体験をさせてあげるのが父親の役割であって、
その中から自分で決めた道を歩んでくれたら良いと考えている。

でも逆の考え方をすると、まだまだ未熟な子供達に判断を委ねると
いうことは、責任転嫁しているだけではないか?
子供達は間違います。だから、ときに間違わないように父親として
誘導してあげることも必要なのではないか?いや、むしろそれが
父親の役割でないか。

過去ログ『キャッチボール』でも述べたが、息子は未だ自ら野球を
やりたいとは言わない。でも、私の経験から野球をすることで得る
ものはたくさんある。それを私は息子に経験させることが将来的には
息子のためになるのではないか?

こんなとき、私の父親はどうしたのだろうと思う。これから子供達が
大きくなるにつれ、父親としての判断を迫られるだろう。そのとき、
私には教科書となる父親像がない。

会社の上司は明確な父親像を持っている。それは、彼の考え方であり
否定も肯定もするつもりはない。
でも、答えが最初から私の考え方一つであれば、子供達はいつか私の
元から去っていくだろう。

今は、子供達に出来るだけ多くの選択肢を与え、その中で父親としての
意見を述べ、あとは子供達と相談することで、これから遭遇するであろう
難題に立ち向かっていきたい。

最後に女手ひとつで、私を育ててくれた私の母親にこの場を借りて感謝したい。

有り難う御座います。これからも宜しくお願いします。